我 畏敬の兄 川嶋 真諒 様

 

 

人生の中で恩義を感じる人はたくさんいる。

それも、自分が何でもない時に、

しかもまっさらな時にあった人は特別だ。

その特別の中でも、特に特別なのが「しんりょうさん」だ。

 

「しんりょうさん」は、ほとんど無駄口を言わない。

若い時から、とても秀でていて※廓然大公(かくぜん-たいこう)の人である。

「しんりょうさん」は、ずっと前から、保育界が進むべき道をわかっていて

その理解力で、多くの方々を間違いのないように導いたそのものの人である。

私も若い時から、迷う都度、何度も何度も「しんりょうさん」に教えを乞うた。

「しんりょうさん」に話をして、そこで整理したものを各地で話させてもらったんだ。

まさしく、兄であり、師匠であり、そして同志なのである。

今、私が保育界で働かせている素地を「しんりょうさん」に作ってもらったと思っている。

本当に感謝している。

 

最近、とりわけ保育界では少子化・過疎地というのが大きな論点だ。

どこよりもそれを先にとりあげて、研修に取り入れたのは、

当時、全保協系の秋田県会長であった「しんりょうさん」である。

少子化の最先端地は秋田であり、青森である。

今、保育士定数改善などがひとつの焦点だが、

私たちの地域では、社会のインフラとしての保育や保育所をどう残していくのか、

それを最初に自治体の関与も含め、数字的にも整理すべきと提言した人なのである。   

 

私の母が秋田で生まれ育ったとはいえ、下北半島にいる私と、秋田市の南の本庄では、

実は、日本海を南下していくのに随分時間を要する。

それでも、何を話すわけではないが、毎年会わせてもらっている。

とても幸せなことだ。

またその元気なご尊顔を拝することを楽しみに今はもう少し春を待ちたいと思う。

「しんりょうさん」に今回、出てもらって、とてもありがたいと最後にもう一度書いておきたい。

 

かくぜん-たいこう【廓然大公】

心が何のわだかまりもなくからっと広く、少しの偏りもないこと。

君子が学ぶべき聖人の心をいう語。また、聖人の心を学ぶ者の心構えをいう語。

▽「廓然」は心がからりと広いさま。